脱却できるか?

[ 2013年7月21日(日) ]

今日の参議院選挙で投票された大多数の国民が願っていることは、「脱却できるか」ではないかと思う。不況からの脱却もあろうし、閉塞感からの脱却、格差からの脱却など、要は、「何とかして欲しい」という国民の願いがあります。

連日、中国の自由金利が報道されていますが、あるニュース番組でボードを使っての説明を見て、何となく納得しました。中国のお手本は実は日本だということがハッキリしました。日本が戦後辿った道のりを中国は10年足らずでやってきたのですが、社会に大きな歪を生みました。表の経済と裏の経済というか、実態を伴わない見せかけの経済で国を引っ張ってきたのです。

日本もバブル時代は実体経済を伴わないと良く言われましたが、そのつけを未だに払いながら過去を引きずってきています。そういった意味から、アベノミクスに期待がかかる訳です。過去との決別を宣言した安倍政権にGoの審判が下ったなら、走るしかありません。世界経済をけん引する役を日本が担うと宣言しているのですから。ですから、今回の選挙で日本の未来が決まると言っても過言ではありません。

私は、「脱却」すべきだという考え方は正しいと思いますが、大切に残さなければならないことは残すという決断も必要と考えます。日本の良さを損なう政策はすべきではありません。私は今回の研修で東京に行き、多くの外国の観光客を見ました。尖閣問題があろうが、隣国の中国とは切っても切れない関係であることは間違いありません。世界という観点から、早期の関係修復が必要です。

多くの脱却すべき案件がありますが、世界で漂流することのない一丸となった日本丸になって欲しい。強者が弱者を支配する国には絶対になってはいけない。