限界集落

[ 2011年10月4日(火) ]

生まれ育った地域に対する愛着は誰もが持っていると思う。しかし、愛着があるのと住むということは別問題である。特に、限界集落と言われている地域が抱える問題は複雑である。

私の家は代々、農家でした。過去形になっていますが、今はとても農家とは言えません。農業委員会では農家とカウントされていますが、どうなんでしょう。こんなところにも、無理に無理を重ねて集落を残してきたつけがあると思います。耕作放棄地がドンドン増えていっている限界集落であっても、その殆どは農家なんです。

集落を維持するには前提がありました。農業や林業で生計が立てられるという。その前提が崩れたのが、戦後の高度経済成長による都市部への労働者の流出です。労働バランスが崩れ、機械化で凌ごうとした結果、より一層、労働バランスが崩れていったのです。そして、出稼ぎから出て暮らすとなりました。

出て働けない人たちは、取り残された格好となりました。日本列島改造論で国のいたるところに工業団地を造成して、工場を分散したのですが、小手先の改革で、地価の高騰を招きました。いよいよ、故郷がズタズタにされていきます。限界集落と呼ばれている地域は、その当時から置き去りになっていたのではないでしょうか。

じっと黙って我慢している限界集落は、日本経済の陰の部分であると私は考えます。福島原発事故が国の責任ならば、限界集落問題も国の責任であることは間違いありません。私は、東日本大震災により被災した限界集落の再生モデル(再生方法)を国に示して欲しいと考えます。