共同作業の歴史

[ 2020年12月1日(火) ]

私の住む地域では農業に関する補修作業などは共同ですることになっている。大掛かりなものは農業災害等を申請するが、皆ですれば何とかなる補修工事等は材料を仕入れて各自の道具や機械を持ち寄って片づけてしまう。しかし、決して強制はしない。

今回は小さな溜池の一部が崩落していたので、生の松杭を池床に打ってネットとシュロで土留めをして土を入れて修復する工事をしましたが、現役の土木作業員さんが重機を使ってくれたので6人で6時間程で完了しました。これは歴史かもしれませんが、私の住む地域では昔から道路を舗装する前は、道路の補修をしていました。確か、他の地域でもやっていましたね。

ブログを書きながら思い出したのですが、家を解体したり移築したりする作業を何度か手伝ったことがあります。私の親父もそうでしたが、家を建てる材料を山から伐り出して自分で製材していたそうです。実際に墨付けなどは大工がしますが、かなりの部分を住民が手伝って家を建てたみたいです。ですから、解体や移築作業を難なくこなしていたのだと思います。

生コンがない時代は、鉄の板の上にセメントと砂と水を入れて混ぜてコンクリートを作っていました。私たちの地域は溜池が稲作の生命線でしたから、水路を塞いで溜まった水をポンプアップして溜池に戻す機械の設置なども全て自前で行っていました。今考えると、そういう時代だったのです。第二次世界大戦で何もかも失った戦後の復興期だったのです。

今は何でも専門業者に頼めばできる時代ですが、共同作業が集落維持に果たす役割は重要と考えます。それは、お金では買えない、目に見えない連帯というか、運命共同体的な「きずな」を感じます。それは、言葉で表現できない価値の共有でもあります。