― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2018年10月1日(月) ]
今日の中国新聞に、避難情報が次々出される度に、「ああ、またか」という思いになるという記事がありましたが、考えなければならないことだと思います。どういう流れか定かではありませんが、上位下達のところてん方式でしょうが、意思疎通とはいきません。
早め早めは決して悪いことではありませんが、避難所を開設しても誰も来ないところが大半だと思います。自主防災組織という言葉は良く聞きますが、自主的に避難所を住民が開設して運営するということは天変地異というか戦争勃発という不測の事態でないとあり得ないと思います。東日本大震災発生時、日頃、訓練をしていた小学生たちが助かり、指示を待った人たちが被災した例もあります。
起きてしまったら誰が責任を取るのかという話になりますが、本当の意味での自然災害なら言って行くところはありません。近頃多発している災害は、自然災害に管理不行き届き災害が加わるから複雑になります。今から40年以上前ですかね、私の伯母の家の裏山が崩落して家が流されてしまいました。今でも崩れた山肌はそのままで、蔵だけが残っています。
それがどうしたですが、昔の災害と今の災害では成り立ちが大きく異なる様に思います。天気予報の精度を上げれば上げる程、「早めの備えを」という言葉が増えてきます。本当に、国土強靭化で対応できるのでしょうか?最終的には住む場所が限定されてくるのではないかと不安を覚えます。
溜池の管理、水路の維持管理、水田が自然のダムだったことを思い出すべきです。山からの流木がこれほど増えた事実を真摯に受け止める必要があります。今回の広島県の災害だけをみれば、多くの部分が人為的災害ではなかったのかと思います。
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