― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2012年3月13日(火) ]
私の父は25年前に脳梗塞になり、7年前に亡くなりました。18年間、父は自分の意思を言葉で伝えることはできませんでした。
父は運良く、脳外科専門病院に救急搬送されたお陰で一命は取り留めたのですが、彼にとっては運悪くだったのではと思います。当時は、話すというリハビリが確立されていなかったからです。
しかし、現在のリハビリを取り巻く環境は非常に厳しいものがあります。小泉改革で、急性期の患者が3ヶ月しか入院出来ないことになったからです。リハビリは儲からないということにしてしまったのです。実は、この急性期が分岐点とも言われています。
各地のリハビリ療法士の学校は青色吐息とか。私はかつて、玉造厚生年金病院のリハビリを何度か見させて頂き、これこそがと思っていましたが、今は受け入れが難しいと断られるみたいです。
西城市民病院を、リハビリ専門病院に特化することも考えてみたいと思います。患者には、リハビリ点数は関係ないことです。
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