「なり手不足」解消なるか

[ 2018年5月27日(日) ]

本日の中国新聞福山版の大見出しが「なり手不足」解消なるかでした。県東部の市町議会についての特集ですが、日本全国の市町村に当てはまる問題でもありますので、私なりの考えを書いてみたいと思います。

今年4月の選挙で無投票だった府中市議会。2016年11月に無投票だった神石高原町議会。聞けば、府中市は定数割れになりそうだったとか。実は他人事ではない庄原市議会なんです。議会報告会のことをブログに書いていますが、議会に対する関心はありません。住民の関心は議員の選挙にあると言っても過言ではありません。選挙が終われば祭りの後状態となります。

私は夜に開く議会とか日曜日に開く議会とか、過去に提案しましたが執行者は、「やらない」でした。ただ、やることで議会が変わるか、執行者が変わるか、何も変わりません。現行制度の化粧を変えてみるだけで本質は何も変わらないのです。信じれないかも知れませんが、富山県のある市の議員は地域の顔役が順番にでることになっているそうです。

一昔前の田舎選挙はそうだったのではないですかね。しかし、今でも地域対抗選挙戦をやっている訳ですから、似たり寄ったりです。だから、本当に議員になって頑張ろうという人が出れない仕組みが田舎にはあるということではないでしょうか。変な意味、まちの発展を阻害しているのは出身地域しか知らない議員の存在かも知れません。

知らないから執行者に寄り添って、地域エゴを通してもらうことで静かに椅子に座っているのではと勘繰ってしまいます。支所機能が弱くなれば議員の力量がアップするかと言えば、ダウンすると思います。行政の仕組みをいじらないということは怠慢そのものですが、議員から文句は言えない選挙の仕組みがそうさせています。